韓国留学日記


2005年3月26日(土) 仲間の帰国。



今週になって、仲間の帰国が続いたため、
いろいろな事を考えさせられました。

留学を続けたくても断念した人や、仕事のために帰国した人等、
帰国の理由は様々であるが、
日本やアメリカに帰ってからもがんばってほしいと思います。

特に今日は一番接する機会の多かった「たかし氏」、「がんちゃん」が
日本に行ってしまったため、寂しい一日になってしまいました。


9ヶ月の留学を振り返ってみると、
俺は、韓国でしか得られないものをたくさん手に入れましたが、

最も自慢できるものは語学ではありません。

仲間、そして彼等と過ごした日々です。

飲み会後、朝9時過ぎに下宿へ戻ったことも多々あったけど、
そんな彼等との当たり前に思えていた日常がもう来ないと思うと、
自然と涙がでてきます。

俺は今日帰国した2人に、生まれて初めて手紙を書きました。
自分の気持ちを素直に手紙に綴り、それを相手に渡すなんて、
日本にいた時には想像もできなかったことです。

それだけ彼等と正直な気持ちで付き合ってきたわけですが、
俺も少しは成長したのかなと、不思議な気持ちでいっぱいでした。

俺は今年に入ってから、やたら飲み会に出席するようにしていました。
今月、仲間のほとんどが帰国することが分かっていたからです。

特に、この1ヶ月は韓国人よりも日本人と接する機会が多いほどで、
毎日、韓国人と絡んでいた俺にとって、ある意味、ありえない生活でした。

ただ、彼等と話すことで教わることが実に多く、非常に勉強になりました。

当分、彼等と会えなくなるのは寂しいですが、

今日という日は、決して「別れの日」ではなく、

ただの「区切りの日」だと信じています。



留学中に得た仲間とは一生付き合っていくつもりですので。

俺は本当に良い仲間に恵まれたと思っています。
結束力も相当強かったし(強すぎた?)、
こんなに濃いキャラが揃うことは、この先なさそうです。

特に飲み会は最高でした。
いろいろ留学生同士で飲んだけど、
俺達以上に盛り上がっている飲み会は見たことがありません!

そして、記念アルバムを作成してしまう程の仲間を俺は誇りに思います。
手作りで、しかも全員分、、、マジですごいよ!

みんな!今までどうもありがとう!
マジで感謝してるから!

今から再会の日が楽しみだよ。

また会おうね!



【記念アルバム】



ひとりひとりのプロフィール。
このページは「taka」。




写真も一枚一枚貼ってあります。

その他、全員からメッセージカードもありました。

みんな!一生の宝物をありがとう!




2005年3月28日(月) ツアー旅行B。



DMZの中だったか外だったのか忘れたが、
とある食堂で昼食をとることになった。

昼食付きなのだ。^^

中に入ってみると、店の中は異様な雰囲気に包まれていた。


店員はもちろん韓国人。
でも、日本語はペラペラ。

そして、、、


客の95%が日本人というありえない状況だった。(-_-;

俺が最も嫌いなシチュエーションではないか、、、(ーー;)

まあ、いいや、、、--;

待っていると、「プルコギ」がでてきた。
ツアー観光での定番メニューだ。--;;

いつも疑問に思っていたのだが、韓国に行って来た人達、特に女性は、

「韓国楽しかった〜」
「韓国大好き♪」

みんなこんな事を口にする。
旅行を楽しんでいるようなので、別に構わないのだが、
別の角度から見ると、とても違和感を感じてしまうのだ。

そう。開放的な気分で海外旅行をしている状況の中、

焼肉・エステ・ショッピングをしたら、どの国でも楽しいのではないか?と。

別に韓国でなくてもいいのだ。

まあ、これについてはここらで終わらせておこう。^^;;


その後、キャンプ ボニファス(CAMP BONIFAS)で簡単な説明を聞く。
このキャンプ ボニファスは、JSAのための駐屯基地で、
説明の後、宣言書に署名をしなければならなかった。

どんな内容なのかというと、

「いかなる出来事が起きても、平静を保ち、

警護の者の指示に従わなくてはならない。」


こんなすごい内容でした。^^;;


確かに署名はしたけど、無理ですよ。マジで。

そんな状況で冷静でいられるほど、俺は大物ではありません。



バスでJSA(Joint Security Area、共同警備区域)へ。

このJSAは俺にとって特別な意味のある場所なんですよ。

「JSA」という有名な韓国映画があるんですが、
俺が最初に観た韓国映画なんです。

女優もやたら綺麗で、内容も面白く、俺はこれを観て、
韓国という国に引き込まれていくのを感じたほどでした。

一度は行ってみたい。
俺にとって、JSAはそんな場所でした。


そして、月日は流れ、、、







来ちゃいました。(*^^*)

水色の建物が並んでいるんですが、その中のひとつに入りました。
写真は、その中と、ここ「自由の家」でのみ撮影可能でした。

この水色の建物は微妙な位置にあるんですよ。
韓国領と北朝鮮領をまたいでいるわけです。

建物の中は自由に歩けるため、
位置的には北朝鮮領に入ることができるんです。

このようになったのも、歴史的な事件があったのですが、
それは次回にでも説明することにします。




建物の中央にあるコンクリートの国境。
「砂」が北朝鮮領で、「ジャリ」が韓国領。
写真を見ても分かるように、位置的には北朝鮮領に入っています。

建物の奥に扉があるんですが、
その扉の向こうは思いっきり北朝鮮領になります。

北朝鮮への亡命を防ぐために、韓国軍兵士が立っています。




この格好で、全く動きません。
さすが。^^




記念撮影もできます。^^
別の兵士とたかし氏。





北を警戒する韓国軍兵士。
万が一の事を考えて、体は半分しか出しません。
サングラスは視線で北の兵士とモメないように使用しています。

この日は、北の兵士は立っていなかったんですが、
北側はこんなふうに体半分みたいなことはしません。

こういう南の態度を、「ヘタレ」と思っているのでしょう。←俺的予想。

まさに、最前線での攻防ですね。(^_^;

ここで整理するために、配置図でも描いてみようかと思います。




1分で描いた絵なので、これで勘弁してください。m(_ _)m

点線が国境になります。太い斜線部分がコンクリート。
「A」、「B」は兵士です。
北の兵士は身を隠しません。

今日、ふと思ったんですが、韓国軍兵士AとBを比較した時、

どっちに立ったほうが安全なんでしょうか?

頭を撃たれたら、たぶん即死ですので、この条件は同じです。

では、体を撃たれた場合は?

感覚的に、心臓を隠せない「B」のほうが危険指数が高い気がします。

そういうわけで、以下のような会話があるのではないでしょうか。


上官 「おい!新米!お前、後輩なんだから今日もBに立てよ。」
新兵 「・・・。はい、上官!」

逆にこんな会話もありそうです。

新兵 「上官!自分、今日もBに立ってよろしいでしょうか?」
上官 「おお!よろしく頼むぞ!」

この新兵は間違いなく出世することでしょう。( ̄^ ̄)

と、こんなくだらない想像をしたりしていました。(^_^;

次回、「ツアー旅行」シリーズ最終回です。


【お知らせ】
番外編 第15話「最後の観光」をアップしました。
旅行中の雰囲気をそのまま伝えるため、
手記をほぼ原文でアップしています。



2005年3月29日(火) アンケート調査。 




今日はいろいろな意味でとても疲れました。(××)

Akikoとスウォンの3人でアンケート調査をしてきました。
アンケートっていっても、シールを貼ってもらうだけなんですが、、、





写真:左からスウォン、Akiko。

字が読みにくいと思いますが、Akikoの字なので大目に見てやってください。
m(_ _)m

韓国語が分かる人は、写真を見てどんなことを考えているのでしょうか?

笑っている?それとも、心配している?

まあ、いずれにしても、
アンケートの内容と結果については後日発表することにします。^^;;
お楽しみに!

(~O~)ふぁ・・

寝よ、、、(-_-)゜zzz



【最後に】
Akikoとスウォンへ。
今日はどうもありがとう。
またお願いします。m(_ _)m




2005年3月31日(木) ツアー旅行C。



その後は、JSA内をバスで移動。
バスの中では、立つことができないため、
左側の座席に座っていた俺は、あまり良い写真を撮れませんでした。--;

はっきり言って、右側の席に座ったほうがいいです。(-_-;





「自由の家」(자유의 집)
バス車内から。
この自由の家でも撮影できます。






北朝鮮の宣伝村(선전 마을)
第5哨舎(CP 5)から。
国旗掲揚台は高さ160m。
韓国側の国旗掲揚台と高さを競った結果、世界最大級となりました。

韓国もこの周辺で領有の意思を示すために、
似たような村を作っています。
一般の人が住んでいるんですが、危険指数はメッチャ高そう。--;;
住民は、納税や徴兵の義務を免除され、
更に年収は約1000万円もらっているようです。

まあ、どんなに優遇されたとしても、
こんな何もない所で住むのはちょっと無理ですね。(-_-;






帰らざる橋(돌아오지 않는 다리)

朝鮮戦争が停戦になるにおよんで、南北の捕虜がこの橋を渡った。
南北どちらかの国を選ばなければならず、
渡った後は、2度と帰れなかったため、その名が付いた。

結果論になるんですけど、今の経済状況等を比べてしまうと、

究極の選択だったような気もするが、、、(-_-;






帰らざる橋。
バス車内から。



ツアー旅行Bで、コンクリートの国境があったのを覚えていますか?

あれができたのは、1976年なんですが、
その背景には、歴史的な事件があったんですよ。
そう。「ポプラ事件」です。

帰らざる橋の1枚目の写真なんですが、
これは「第5哨舎」(CP 5)から撮影したものです。
そして、帰らざる橋の横に水色の建物が建っているんですが、
これが「第3哨舎」(CP 3)です。

ここで、位置を確認してみます。



下のほうに、第3哨舎(所)が、その少し上のほうに第5哨舎(所)があります。

点線が現在の国境なんですが、ポプラ事件の前は、
南北の哨舎が混在していました。
注:南は韓国軍+UN軍

分かりやすく言うと、敵に後ろをとられている状況です。
当時は、北の兵士も帰らざる橋を渡って、JSA内に入り、
北朝鮮側の哨舎にいたというわけです。

第3哨舎はその周囲を3箇所の北朝鮮側の哨舎に囲まれており、
「世界で最も寂しい前哨基地」として知られていました。
この配置はマジでやばいです。
殺してくれといわんばかり。
もはや「生贄」の状態です。(ーー;)

第3哨舎を最もよく見ることができたのは、第5哨舎なんですが、
ちょっとした障害がありました。
ポプラの木です。

南の資料によると、
このポプラの木は北側が植えたとなっていますが、詳細は不明です。
韓国の資料だけでは正直信用できませんので、、、^^;;

ただ、この木のために、警備に支障がでたのは間違いないわけで、
南側としては、このポプラの木を切る必要がありました。

まあ、この木を切っている時に、北側と揉めて、
南側に死者がでたというのが、「ポプラ事件」です。

この事件を境に、一気に南北の関係が緊張しました。
最終的には、南北の哨舎を完全に分けることになったというわけです。

そういう背景があったため、現在はコンクリートの国境が存在しています。

ところで、今、調べていて気が付いたんですが、
このポプラ事件で殺された大尉(当時)の名前が、
ボニファス(BONIFAS)というんですが、キャンプの名前と同じですね。
関係があるかもしれません。勝手な予想ですが、、、^^;;





問題のポプラの木があった場所(写真中央)
帰らざる橋の1枚目の写真でも見えます。

この後、JSAについて説明を受けたキャンプ ボニファスに戻り、
お土産を買う時間が与えられました。

日本から来た人達の買いっぷりには驚きましたが、
なかなか面白そうなものも売っていました。^^


1日でこんなに効率よく楽に観光したのは本当に久しぶりで、
おかげで観光に集中することができました。
留学を決心してから、行こう行こうと思っていた場所なだけに、
たかし氏という仲間と一緒に観光できて最高の思い出になりました。

とにかく、韓国に興味があるのであれば、

一度は行くべき場所だと思っています。

充実したツアー旅行でした。(*^^*)






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